経済・政治・国際

天災/人災

 大雨の被害に追い討ちをかけるようにやって来た台風と、それが通り過ぎた途端の大地震。単なる異常気象では無く天変地異の始まりか?と思う昨今、被災者の方々を気の毒に思うと同時に明日は我が身と言う不安も正直かなりリアルだ。

 地震や大雨も不安だが、今回最も不安を新たにしたのは原発だ。以前から原発に対する不安は色々見聞きしてはいたが、遂に現実になった感じだ。施設自体の安全性への不安は無論だが、それ以上に施設を建設し運営する人達への不安が大きい。

 今回の震源の非常に近くに柏崎刈羽原発が有る。テレビで見た空撮の映像には建物付近の地面に亀裂が走っているのがはっきり映っていた。原発は地質調査で断層が無いと確認された場所にしか建てられないはずなのにである。

 小学生の頃にテレビ版の『日本沈没』を観ていた世代にとってあの辺りは『フォッサマグナ』が有るとピンと来る場所である。確か小学校の社会科で使った地図帳にもフォッサマグナの構造線が記されていて、SFドラマと現実がダブる興奮を始めて味わったのがあの番組だった様な気がする・・・って話はともかく(←案外呑気(vv;))、『日本沈没』では『糸魚川-静岡構造線』と言うフォッサマグナ西端の大断層がクローズアップされてたが、フォッサマグナの東端は『柏崎-千葉構造線』と言う大断層だと言われている。この構造線の位置や活動の有無については諸説有るとの話も聞かないではないが、今回の地震の震度マップを見ると、実際柏崎から千葉へ向かって線状に震度の大きい地域が続いている。

 更にこの辺りはユーラシア・プレートと北米プレートの境界が有るのではと言われている所である。このプレートの位置も確定してないらしいが、'64年の新潟地震、'83年の日本海中部地震、'93年の北海道南西沖地震、'04年の中越地震の震源がほぼ一直線である事からこの辺りを通っている可能性は高いと思われる。

 何でよりによってこんな所に原発を作るのか全く不思議だが、その辺を調べると結局「原子力行政」、「原子力産業」、「原子力学会」の無知と無責任、そしてそれらの間の癒着と言う話になってしまう。この辺の人脈には姻戚関係が多いなんて話も有って嫌な気分になる。

 結局原発と言うのは巨額の予算が動く施設で莫大な利権が生まれる事から、それに群がる人達は多少無理してでも建てたがるのである。とは言え明らかに危険な所には建てられないだろうが、そこに登場するのがいわゆる御用学者で、彼らに都合の良い事実だけで理屈を組んでしまい、都合の悪い事実は隠蔽してしまうのである。だから構造線とかプレート境界のように諸説有る物などは自分達に一番都合の良い説だけを取り入れる訳である。アメリカが枯葉剤や劣化ウラン弾の話をする時に「危険が証明されてないから安全だ」と言ってるのと同じ様な物である。

 そう言うインチキをするとまともな議論が出来なくなり、結局権威をかさに強引に反論を封じるしか無くなる。いわゆる『安全神話』である。今回の事故では消防関係者が

「原発での火災は想定外だった。」

なんて頭の構造を疑わせる事を言っているが、一般人が誰も信じないような『神話』を現場で働く人達が『迷信』しているとしたら全く悪い冗談としか言い様が無い。

 柏崎に関しては一号炉の建設からかなりの年月が経っており、「当時は分からなかった」と言う事で責任回避して今後の安全性を議論しようとしている様である。「当時は」の真偽に疑問符は付くが、何はともあれ『神話』の呪縛から開放されて現実的な話が出来るようになったなら良い事だろう。しかし安全性が疑問視されている原発や処分場はまだ他に有る。それ以外の所についてもあくまで「当時」の技術レベルで判断された『安全』に過ぎない。そもそも日本に安全な所など有るのかとの疑問も有って、個人的には原発は無くすべきだと思っている。だって・・・無理でしょ?

 余談だが今回の放射性物質漏洩事故で、ロシアのテレビニュースが環境被害や日本政府の対応への懸念を表明していた。確かにそう言う懸念は有ろうが・・・ロ助に言われる事じゃねーよな(-_-メ)。チェルノブイリの被害を隠蔽したり、潜水艦の原子炉を何十個も海に捨ててたのは誰だよ?

 なんか書いてて嫌になって来た(vv;)。

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法律に従うって…

 こう言う話ばかりしたくないのだが…

 法律を作る立場の人達が自分らに都合の良い法律を作っておいて、

「法律に従っているから問題無い。」

と答弁する茶番が繰り返されているが、自殺した前大臣と殆ど同じ答弁を繰り返す現大臣の姿が何とも気持ち悪い。いい加減やめさせてやれない物だろうか?

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しょうがないって?

 「原爆投下はしょうがなかった」と発言した久間防衛大臣(発言当時)が辞任した。「原爆が無ければ本土決戦になってより多くの犠牲者が出ただろう」と言うのがその理由だとか。この発言に対しては「いかなる理由が有ろうとも手段としての原爆を正当化するのは許せない」と言う批判が集中している様で、それは当然だと思うのだが、この発言には実はもう一つ問題点が有ると思う。そもそも戦争を終わらせるのは誰かと言う事である。

 はっきり言って戦争を終わらせるかどうかは政治家(当時は軍人含む)の決断である。それも敗戦国の政治家の決断である。敗戦国の政治家が負けを認めた時が戦争が終わる時なのである。逆に言うと戦勝国側には戦争を終わらせる決断は出来ない訳で、「原爆のお陰で戦争が終わった」なんて言うのは戦勝国の立場からのみ出る理屈である。敗戦国の政治家は自ら戦争を終わらせる決断が出来るのだから、本土決戦が「悲惨でやるべきでない」のなら原爆が落とされようが落とされまいが自ら決断をしてやめる責任が有るはずである。それをせずに原爆が落とされるまで本土決戦をやる気でいたのである。それを

「原爆のお陰で」

 と言ってしまう大臣からはそうした政治家の責任に対する認識が感じられないのである。こんな人に政治をやる資格は無いと思うのだがどうだろうか。

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高級車とは?

 トヨタの高級車ブランド『レクサス』が思う様に売れていないとか。テレビのニュース番組では、特に若い世代を中心に車をステータス・シンボルでは無く単なる道具と考える層が増えており、高級車に興味を持たなくなっている事が原因だと分析していた。それは事実だと思うのだがこの問題の本質はもっと別に有るのでは無いかと感じる。つまりそもそも高級車とは何かと言う事である。

 番組ではトヨタがそうした層に高級車の楽しみを広めて行く為の切り札として用意している一千万円を超える超高級車を紹介していた。その車のリアシートにはマッサージ機が内蔵されており、足元は脚を組める程広く、天然木のサイドテーブルが付いていて番組ではそこでワインを楽しむ様子が紹介されていた。確かにそれは高級なのだろうが…どちらかと言うとそれはハイヤーとか社用車と言った業務用の高級車ではなかろうか?

 勿論そう言う需要は有るのだろうが、先程の話でトヨタが高級車の楽しみを広めると言っているのは若い層を含めた個人市場である。こうした市場と言うのは高級車と言えど基本的にはオーナー自身が運転する物である。充実すればする程運転するオーナーが単なる運転手に成り下がって行くこうした『高級』さに魅力を感じる個人オーナーがどれ程居るか疑問である。後席のワイングラスが揺れる度に背中に怒声を浴びながら一人しらふで運転する一千万円の車のオーナーと言うのはちょっと切ない気がする。それともトヨタは運転手を雇う文化も一般に広めようとしているのだろうか?もしかしてレクサスが売りにする『おもてなし』の精神で、純正オプションで『運転手』も用意しているのだろうか?(笑)。

 レクサス苦戦と言われる一方、BMW等欧州の高級車は売り上げを伸していると言う。日本人が海外ブランドに弱いと言ってしまうのは簡単だが、その欧州車の高いブランドイメージが何よりもまず走行性や安全性と言った実利的な性能の高さで築かれて来た事は確かだと思う。

 無論トヨタにしても基本性能をおろそかにしてる訳では無いだろうし、今の市場を外国車と奪い合うだけでは無く更に大きくする方法を模索しているのだとは思うが、それがリアシートのマッサージ機能と言うのはかなり迷走している様に思える。

 では日本で高級車の個人市場を広げる最も効果的な手段は何かと言うと、根本的には高速道路の制限速度を時速200kmにする事と、一般道の舗装をアスファルトでは無く石畳にする事だと思う。

 正直時速100km+αでは今時どんな車でもさしたる不満は無い。ミニバンやワゴンでも十分快適だし、軽自動車でも大して問題無い。しかし時速200kmではそうは行かない。より高度な技術が必要で、必然的に車は高額になる。高速を200km/hで走る必要が有ると思う人は高級車を買うしか無い。つまり高級車に道具としての必然性が生まれるのである。

 市街地走行に於ても道がフラットなアスファルトならどんな車でも快適に走れる。高級なサスペンション等は『走り屋』御用達の趣味の物と扱われがちだが、凸凹の路面に於ては全く違う意味で道具としての必然性が有る。スピード出し過ぎ防止にもなるし景観も良くなるので個人的にはやって欲しいのだが。

 勿論これは極論で問題有る意見だが、逆に言うと結局今の日本で高級車は過渡な贅沢品としてしか存在出来ない物だとも言える。車をステータス・シンボルでは無く道具と考えるのは文化的にはむしろ成熟した状態で、贅沢品・嗜好品としてしか高級車を売り込めないならその市場は小さい方がむしろ健全だと思うのだがどうだろうか?

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性善説

 今回のマンション耐震強度偽装問題の関係者を見回すと、見た目からして既に悪そうな雰囲気をぷんぷんさせた人達が多い。やはりあの位の歳になるとそれまでの生き方が顔や言動にはっきり出る様だ。特に社長とか所長と言った責任有る立場の人間の抜け抜けとした態度には、「責任者は知らないと言えば責任を取らなくて良い」と言う終戦以来の日本のふざけた伝統文化が未だ脈々と継承されている情けない現実を目の当たりにさせられる。

 こう言う連中のたちの悪い所は自分は悪くないと信じ込める事である。勝手な理屈で理論武装し自分自身を完全にごまかす事が出来るのである。そうして根本的にずれた認識から来る不条理にして揺ぎ無い自信と狂った倫理感で周りの弱い人間を感化し狂わせて行くのである。

 で、こう言う犯罪を防ぐ為に有るのが検査システムだが、その中身は知らんが結果を見る限り明らかにずさんである。その理由を検査に携わる当事者にアンケートした結果をテレビで見たのだがそのトップが

「人の命に関わる仕事をする人間が不正をするはずが無いと言う『性善説』に従って検査をしている為。」

と言うのだから呆れてしまう。先に述べた様にこうした犯罪の大元にいる人間は罪の意識を持っていない。直接罪を犯したのは末端の現場の人間で、自分達はコストを下げろとは言ったが法を破れとは言っていない等と言う屁理屈で自分に責任が無いと思い込める人間である。善とか悪と言った相対的価値観は個人の認識でどうにでも歪められる物なのである。

 また、直接偽装を行った設計士も、家庭の経済的事情を言い訳に罪を犯している。衣食足りて礼節を知るなんて言葉も有る様に性善説と罪を犯す事は別の問題である。また、悪意は無くても間違いは起こるのだから、性善説を検査のずさんさの言い訳にするのは極めて無責任であり、こうした事を言う連中も結局は自身の罪を屁理屈で自己正当化しようとする先の連中と同類である。

 それにしてもこの検査システムには疑問が有る。報道を見ていると、建築の現場では検査を早く終わらる事ばかり優先されている様に見える。例えばコンピュータのプログラムに於いてはプログラムの制作とデバッグ(プログラムのミス探し)は同等か場合によってはデバッグの方に手間を掛けたりする。間違った物を製品として出さないと言う事は業界を問わず最優先課題だと思うし、特に建築は人の命に関わる仕事で有るから検査は他にも増して重要だと思うのだが、以前から指摘されている現場工事の検査のずさんさに続いて今回設計段階の検査もまともになされていない事が明らかになった事は役所も含めたこの業界全体の『善意』や『良識』の異常さを感じずにはいられない。

 結局『性善説』なんて物を責任有る発言で安易に口にする連中にはその本当の意味など分かっていないし深く考えた事も無いのであろう。

 ちなみに論点はずれるが、検査がきちんと出来ない理由として提出書類の分厚さを上げる関係者が居るが、構造計算ソフトは業界共通の物が使われていると言う話なのに、何故検査では印刷した書類だけしか提出させないのか極めて不思議だ。コンピュータのデータを併用して検査の効率を上げるシステムは当然考えられると思うのだがどうだろうか?

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北九州紀行8 炭鉱博物館を見学する

 三日目の晩は田川で久々に再会した知人達と呑む。安い酒で四方山話に盛り上がる。

 四日目は朝一で博多へ戻るつもりだったのだが、前の晩に友人から田川での用事を頼まれたので、その時間になるまで田川を観光する。

 昨晩呑んだ知人から田川の炭鉱町としての歴史を聞いて興味を持ったので炭鉱博物館を見学する。当時のまま保存されランドマークになっている巨大な煙突や櫓を始め、武骨な機能美の塊である掘削機械や坑内列車等大型の展示物にまず圧倒される。

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…しかし機械類が全部ピンクに塗られているのは何故なのだろうか!?よもや当時の色では無いと思うが…まさか坑内の雰囲気を明るくする為にピンクの列車が走っていたのだろうか?(^_^;)。

 それはさて置きその他の展示も充実している(当時の作業風景を再現した実物大ジオラマでの蝋人形さん達の熱演(?)が、現代人の目で見ると秘宝館的に人権侵害臭い所は有る意味勇気有る展示だと感動した(!?))。おざなりの箱物施設では無く、炭鉱は日本の歴史の大きな1ぺージだと言う地元の誇りを感じた。ちなみに国のエネルギー転換政策で炭鉱を閉鎖した後も石炭の消費量は増え続けており今や日本は世界一の石炭輸入国だそうである(展示より)。展示の最後は新たな地元振興への取り組みの紹介で、それはとても前向きなのだが、逆に言うと閉山から今に至る迄地元の模索が続いていると言う事でもある。炭鉱廃墟と言うと長崎の軍艦島を思い出すが、ここもかつては途方に暮れる様な廃墟が広がっていたのかと考えると地元的には腹に秘めた思いも有ろうかと思う。民族大移動の如く散って行った大量の労働者達のその後の苦労も大変だったと聞く。エネルギー転換政策自体を否定は出来ないが(あの蝋人形を見ると特に(^_^;))、改革の痛みを背負わされたまま後の発展の陰に取り残されてしまう人々の存在はいつの世でも忘れてはいけない問題だと改めて思ったりする訳である。

 てなとこで時間となり、私は用事を済ませに向かったのである。

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昨日の敵は

 激しい戦いを繰広げていたライブドアとフジテレビが和解会見を開いた。歳もキャリアも遥かに離れた堀江社長と日枝会長が対等な感じで握手する姿からは、

「やっぱ男は戦いの中で認め合い友情を育む物なんだなー、うん!」

なんて『サラリーマン金太郎』的爽やかなラストシーンに…見えないすか、やっぱり(笑)。

 表面的じゃ無い本当の和解って難しいですよねぇ……日中関係もね(涙)。

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ニッポンのモノ作り

 先日デジタルカメラを買った。早速使おうとバッテリを充電機に掛けた。充電機の赤いランプが点もり、取説によると約70分で充電が終わりランプが緑に変わるとの事だが…ランプが消えて真っ暗になってしまった。カメラにセットしてみたが全く動かない。何度試しても同じで、結局全く使えぬまま初期不良交換となった。

 実は年末に買ったパソコンも電源が入らないと言うこれまた致命的初期不良で交換している。その暫く前に買ったファックス付き電話もスイッチの誤動作で初期不良交換している。更にその前に買ったビデオデッキもそのまた前に買ったDVDレコーダーも初期不良交換している。結局ここ数年で買った電化製品の殆ど全てが初期不良交換しているのである。

 パソコンはアメリカブランドなので仕方ないかも知れないが(?)、その他はいずれも日本の大手メーカー製である。かつて圧倒的な品質の高さと信頼性を誇った日本製品の変質を実感せずにはいられない。メードインは関係無い。何処で作ろうが品質を保証するのがブランドを掲げるメーカーの責任である。

 …てな事をUPしようとしていたら何とこのBlogまでおかしくなっているでは無いか!何とかしてよ…(涙)

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カネさえ有れば

 ライブドアがニッポン放送株買占めに使った時間外取引と言うやり方も法の不備としか思えなかったが、対するニッポン放送のフジテレビを受け取り相手に限定した大量の新株発行はもうデタラメだ。これが許されたら法など有って無い様な物だと思うが、司法は秩序を守る為に法を曲げた判決を下す事も有る様な話を聞いてなる程と思う反面司法がそんな事をして良いのか疑問を持った。

 そんな風に考えていると気になって来るのはやはり法を作る立場にある政治家達のライブドア堀江社長に対する批判である。

 堀江社長がやったのは法律を破った訳では無く法律の欠点を突いた物である。法律の欠点を突いて来た人間に対して法律を作る側の人間達が人格攻撃でこれを否定しようとするのは極めて無責任で見苦しい態度では無かろか?

 だいたい自民党の政治家から「金さえ有れば何でも出来るなんて思うのは云々…」なんて言葉を聞く程言葉が虚しく響く事は無い。なる程あんた達は金だけじゃ無く色んな汚い手段を次々考え出して来るよね。大したモンだよ全く…とでも褒めて貰いたいのかい!?

 司法が法に従って粛々と判断すれば良い様になって欲しい物である。

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大画面2

 しばらく前にSAMSUNG電子が薄型ブラウン管テレビなる物を発売した。従来のブラウン管テレビより奥行きを30%程度短くしており、32型ワイドで38cmだとか。同じ韓国のLG電子も出すらしい。(もう出たか?)

 考えてみれば世に出る前は『夢の壁掛けテレビ』等と謳われた液晶やプラズマの薄型テレビだが、いざ発売されてみたら意外に重いやら発熱が猛烈で壁との間に隙間が必要やらで民家の壁なんかに簡単には掛けられず、結局スタンドを付けてテレビ台に載せているのが現実だ。

 で、スタンドを付けてテレビ台に立てた薄型テレビの画面は何だかんだ言って壁から30~40cm離れてしまう。さらに一般的に広く行われている部屋のコーナーにテレビを設置するケースでは、薄型テレビでもどの道後方にデッドスペースが発生する。今回の薄型ブラウン管テレビは管の薄型化に伴ってサイドの後方への絞り込みも急になっており、部屋のコーナーに置いた場合は液晶やプラズマと見た目の差は無いのではないかと思われる。値段は当たり前だが従来のブラウン管テレビと大差無い。32インチ以下の薄型テレビには新技術と言うイメージ以外に実質的なセールスポイントは無くなるかも知れない。消費者がどう反応するか分からないが少なくとも日本以外では相当売れるのではないか。

 日本のメーカーは薄型テレビ一直線に突っ走ってしまい、ブラウン管の生産はやめてしまったメーカーも有る。トリニトロンの高画質がアイデンティティーの様な物だったソニーでさえ業務用モニターを全て液晶にしてしまった。

 SAMSUNGは液晶やプラズマでは大画面化や価格攻勢で業界の競争を引っ張る存在だ。そうしてライバルを焚き付けて置いてちゃっかりこうした商品も作っていたとは日本の家電メーカーより遥かにしたたかだ。

 ちなみにソニーはプラズマからも撤退して液晶一本に賭けるとか。液晶でカバーし難い大型はリアプロジェクターを投入するそうだが、正直言ってリアプロは技術的には殆ど完成していると思われ、それで今の値段と言う事は今後値段が下がる余地は少ないのでは無かろうか。近い内にプラズマの方が安くなって存在意義が薄れそうな気がする。

 勿論近い将来にはテレビは薄型に置き換わる事は間違い無く、薄型ブラウン管はつなぎに過ぎないのだが、他のメーカー達が未だ市場が完全に立ち上がっていない商品で既に過渡競争に陥ってしまい、儲からないと嘆きつつ血を吐きながら続ける悲しいマラソンを繰り広げている中でこの様な商品を出して来る冷静さは日本のメーカーも見習うべきかも知れないと思うのである。

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