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フェルメールを観る

 国立新美術館で開催されている『フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展』を観に行った。『フェルメールと~』ではなく、『フェルメール「牛乳を注ぐ女」と~』と言うタイトルが遠回しに断っている通り、フェルメールの作品は『牛乳を注ぐ女』一点だけである。

 あれだけフェルメールの名前一本で宣伝しておいて1点だけと言うのはあこぎとも思えるが、フェルメールの絵は世界で三十数点しか確認されておらず、所有する美術館は何処も門外不出に近い扱いをしているお宝である。この作品も「過去数百年で国外に貸し出された事は5回だけ」だそうで、事情を知る人にとってはあのはしゃぎ方もむべなるかなではある。

 とは言えそうでない人が観に行ったらやっぱりあこぎだと思いそうである。何故なら、正直この「牛乳を注ぐ女」と他の展示作品との落差が大き過ぎるからである。

 本展はそもそも17世紀から19世紀に掛けてのオランダ風俗画を紹介する物で、フェルメールの絵は17世紀の風俗画に入る。この風俗画とは、絵画が王侯貴族の物だった時代にその主題が歴史や神話にほぼ限定されていたのに対し、庶民の文化水準が上がって来た時代にそのアンチテーゼとして庶民の生活を題材に描かれた物である。主題が変わっても基本的なスタイルは変わらず、庶民の暮らしの一場面をドラマチックに、往々にして寓話的意味を込めて描かれている。

 しかし神話であれ庶民の暮らしであれ、絵画でドラマを描こうとするとその絵はイラストになってしまう。絵がドラマを説明する道具になってしまい、登場人物や背景は記号化する。描かれる対象と深く向き合う事で生まれる衝動的な感動はなおざりにされるのである。無論イラストだからそうした感動が無いと決まった訳では無いが、それが無くても成立してしまうのである。本展に出品されている作品の多くも、当時の文化や風俗を知る資料としては面白くても、絵としての魅力は余り感じられない物が多い。

 勿論写真や映像が出来る前の絵画はそう言う役割を担っていた物なので、それを批判する気はない。ただ時代を超えて現代に鑑賞されるべき価値を持つかは疑問と感じるのである。

 その点『牛乳を注ぐ女』は違っていた。我々が日常の中で一瞬発見するも、直ぐに無意識の中に埋没してしまう儚い美を、鋭く捉えて画面に定着している。これは現代人の琴線にも充分触れる物である。

 まぁ、先程の話から言うとフェルメールの絵も充分にイラスト的である。しかし他の画家と根本的に違うのは対象と向き合う姿勢である。語りたいドラマとは別に、描く対象その物に美を見い出して、その本質を絵画的美に昇華しているのである。対して他の画家達が美を見出しているのは描く対象ではなく先人の作品だと思える。そのディテールや色彩は描かれる対象自体から見出された物と言うよりは、過去の作品から寄せ集めて再構成した物である。見た目が美しい絵を描くにはその方が手っ取り早いし、語りたいのがドラマならそれで充分なのは言うまでもない。それがイラストである。

 ちなみに本展に出展されている作品でも、19世紀以降の作品は当然ながら近代的な価値観で描かれており、現代的な美を持った作品が多い。

 とは言えやはり作品としての力は「牛乳を注ぐ女」が圧倒的である。正直言ってこれ一点だけの為に入場料を払う展覧会だと言っても過言では無いが、「牛乳を注ぐ女」にはそれだけの価値が有ると個人的には思う。

 ・・・って、招待券で観に行ってて言えた筋合いでもないがな(笑)・・・・・

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