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2007年7月

50円の差って…

 病院の庭に某外資系コーヒーショップのチェーン店が出来て、驚く程大繁盛している。

 その理由は通常このチェーンの店には無いある特別な設備から知る事が出来る。それは病院の薬剤部のコンピューターに直結し、薬が出来た引き換え番号をリアルタイムで表示する大型ディスプレイである。そう、この店の繁盛の理由は診察が終わってから薬が出るまで1時間以上、下手すると2時間近く掛かると言う待ち時間の長さなのである(T_T)。

 先日私が診察を終わった時も250人待ちだったので、取り敢えずその店でコーヒーを飲む事にした。久し振りの夏らしい暑い日だったので、アイスコーヒーを大きめのトールサイズで頼んだのだが、店員の間違いでショートサイズが出て来てしまった。

 間違いに気付いた店員は慌ててトールサイズのカップを取り出し、先に作ったショートサイズのコーヒーを移し替えたのだが…驚いた事に殆ど満杯である(@o@)。

 店員はそこへほんの一瞬コーヒーを注いだが、かさが増えたかどうか肉眼では判別出来ない(TДT;)。続けて氷が2個投げ込まれると、正に溢れんばかりのトールサイズコーヒーが完成してしまったのである。

 二度とトールサイズは頼むまいと固く誓った夏の日であった…

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天災/人災

 大雨の被害に追い討ちをかけるようにやって来た台風と、それが通り過ぎた途端の大地震。単なる異常気象では無く天変地異の始まりか?と思う昨今、被災者の方々を気の毒に思うと同時に明日は我が身と言う不安も正直かなりリアルだ。

 地震や大雨も不安だが、今回最も不安を新たにしたのは原発だ。以前から原発に対する不安は色々見聞きしてはいたが、遂に現実になった感じだ。施設自体の安全性への不安は無論だが、それ以上に施設を建設し運営する人達への不安が大きい。

 今回の震源の非常に近くに柏崎刈羽原発が有る。テレビで見た空撮の映像には建物付近の地面に亀裂が走っているのがはっきり映っていた。原発は地質調査で断層が無いと確認された場所にしか建てられないはずなのにである。

 小学生の頃にテレビ版の『日本沈没』を観ていた世代にとってあの辺りは『フォッサマグナ』が有るとピンと来る場所である。確か小学校の社会科で使った地図帳にもフォッサマグナの構造線が記されていて、SFドラマと現実がダブる興奮を始めて味わったのがあの番組だった様な気がする・・・って話はともかく(←案外呑気(vv;))、『日本沈没』では『糸魚川-静岡構造線』と言うフォッサマグナ西端の大断層がクローズアップされてたが、フォッサマグナの東端は『柏崎-千葉構造線』と言う大断層だと言われている。この構造線の位置や活動の有無については諸説有るとの話も聞かないではないが、今回の地震の震度マップを見ると、実際柏崎から千葉へ向かって線状に震度の大きい地域が続いている。

 更にこの辺りはユーラシア・プレートと北米プレートの境界が有るのではと言われている所である。このプレートの位置も確定してないらしいが、'64年の新潟地震、'83年の日本海中部地震、'93年の北海道南西沖地震、'04年の中越地震の震源がほぼ一直線である事からこの辺りを通っている可能性は高いと思われる。

 何でよりによってこんな所に原発を作るのか全く不思議だが、その辺を調べると結局「原子力行政」、「原子力産業」、「原子力学会」の無知と無責任、そしてそれらの間の癒着と言う話になってしまう。この辺の人脈には姻戚関係が多いなんて話も有って嫌な気分になる。

 結局原発と言うのは巨額の予算が動く施設で莫大な利権が生まれる事から、それに群がる人達は多少無理してでも建てたがるのである。とは言え明らかに危険な所には建てられないだろうが、そこに登場するのがいわゆる御用学者で、彼らに都合の良い事実だけで理屈を組んでしまい、都合の悪い事実は隠蔽してしまうのである。だから構造線とかプレート境界のように諸説有る物などは自分達に一番都合の良い説だけを取り入れる訳である。アメリカが枯葉剤や劣化ウラン弾の話をする時に「危険が証明されてないから安全だ」と言ってるのと同じ様な物である。

 そう言うインチキをするとまともな議論が出来なくなり、結局権威をかさに強引に反論を封じるしか無くなる。いわゆる『安全神話』である。今回の事故では消防関係者が

「原発での火災は想定外だった。」

なんて頭の構造を疑わせる事を言っているが、一般人が誰も信じないような『神話』を現場で働く人達が『迷信』しているとしたら全く悪い冗談としか言い様が無い。

 柏崎に関しては一号炉の建設からかなりの年月が経っており、「当時は分からなかった」と言う事で責任回避して今後の安全性を議論しようとしている様である。「当時は」の真偽に疑問符は付くが、何はともあれ『神話』の呪縛から開放されて現実的な話が出来るようになったなら良い事だろう。しかし安全性が疑問視されている原発や処分場はまだ他に有る。それ以外の所についてもあくまで「当時」の技術レベルで判断された『安全』に過ぎない。そもそも日本に安全な所など有るのかとの疑問も有って、個人的には原発は無くすべきだと思っている。だって・・・無理でしょ?

 余談だが今回の放射性物質漏洩事故で、ロシアのテレビニュースが環境被害や日本政府の対応への懸念を表明していた。確かにそう言う懸念は有ろうが・・・ロ助に言われる事じゃねーよな(-_-メ)。チェルノブイリの被害を隠蔽したり、潜水艦の原子炉を何十個も海に捨ててたのは誰だよ?

 なんか書いてて嫌になって来た(vv;)。

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嵐の中へ

 台風が接近しつつある中、今年初めての蝉の抜け殻を見つけた。

Semi_no_nukegara

 せっかく早く出て来てこの天気とは運が悪い奴だ。明日の台風本番を無事乗り切って寿命を全う出来るよう祈る!

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法律に従うって…

 こう言う話ばかりしたくないのだが…

 法律を作る立場の人達が自分らに都合の良い法律を作っておいて、

「法律に従っているから問題無い。」

と答弁する茶番が繰り返されているが、自殺した前大臣と殆ど同じ答弁を繰り返す現大臣の姿が何とも気持ち悪い。いい加減やめさせてやれない物だろうか?

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しょうがないって?

 「原爆投下はしょうがなかった」と発言した久間防衛大臣(発言当時)が辞任した。「原爆が無ければ本土決戦になってより多くの犠牲者が出ただろう」と言うのがその理由だとか。この発言に対しては「いかなる理由が有ろうとも手段としての原爆を正当化するのは許せない」と言う批判が集中している様で、それは当然だと思うのだが、この発言には実はもう一つ問題点が有ると思う。そもそも戦争を終わらせるのは誰かと言う事である。

 はっきり言って戦争を終わらせるかどうかは政治家(当時は軍人含む)の決断である。それも敗戦国の政治家の決断である。敗戦国の政治家が負けを認めた時が戦争が終わる時なのである。逆に言うと戦勝国側には戦争を終わらせる決断は出来ない訳で、「原爆のお陰で戦争が終わった」なんて言うのは戦勝国の立場からのみ出る理屈である。敗戦国の政治家は自ら戦争を終わらせる決断が出来るのだから、本土決戦が「悲惨でやるべきでない」のなら原爆が落とされようが落とされまいが自ら決断をしてやめる責任が有るはずである。それをせずに原爆が落とされるまで本土決戦をやる気でいたのである。それを

「原爆のお陰で」

 と言ってしまう大臣からはそうした政治家の責任に対する認識が感じられないのである。こんな人に政治をやる資格は無いと思うのだがどうだろうか。

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