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父親たちの星条旗

 クリント・イーストウッド監督の『父親たちの星条旗』を観た。

 人間の罪を多面的に捉え、断罪も擁護もせず罪を犯す人間に寄り添うように描く最近のイーストウッドの映画は、観る者のステレオタイプな善悪の基準を相対化し、罪に対する怒りや憎しみをその立脚点から喪失させ、後にはやるせない悲しみだけを残す。この他者に対する冷静かつ真摯な向き合い方や想像力、安易なカタルシスを求めず悲しみや虚しさを共有しようとする姿勢は現代アメリカ映画の貴重な良心であり、アメリカに真に必要な物だと思う。

 そんなイーストウッドが人間最大の罪とでも言うべき戦争を描くに当たって当事国双方の立場から一本ずつ映画を作ろうと考えたのは極めて彼らしい気がする。

 で、先に公開されたアメリカ側からの視点と言われる『父親たちの星条旗』を観た訳だが、これが硫黄島の戦闘よりアメリカ国内の政治劇(に翻弄される兵士)を中心に描いた物で、二作が同じ『戦闘』をマルチアングルで描くと言う単純な関係では無い事が分かる。本作は戦場の背後に戦場より遥かに大きく存在し兵士を送り出している社会の無理解や欺瞞がある意味では戦場の悲惨さ以上に兵士を苦しめる様を描いた物で、登場人物に基本的に悪人は居ないのだが悪役は居ると言う構造は戦争の最も悲しく虚しい部分を象徴していると思う。

 道義に反する事が正義の名の下に行われ、それが人の心を傷付け殺して行く様から戦争の大義と正義が狂気と三位一体である事を冷静に描くこの映画は、しかしやはり告発するのでは無くそれぞれの立場の苦しみや悲しみに共感しようとする。告発は観る者に新たな正義の権威を与え思考停止をもたらすだけの物なのである。
 
 正義や大義に翻弄されて心が傷付いた登場人物が最後に家族や戦友と言った自分に最も身近な人達に対して誠実である道を選ぶ姿は過去のイーストウッド作品との共通点が見られる部分で、様々な物を相対化して行く中で最後に残った絶対的な物なのかと思える。ここを起点にそれまでに身に着けた固定観念を一度振り払い、新たに他者への想像力を拡げる事はアメリカ人だけに必要な事では無いのは当然だろう。

 戦場の惨さや悲惨さを見せる映画とは違ったイーストウッドらしい戦争映画。『硫黄島からの手紙』も期待したい。

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