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2006年10月

臨死体験者は語る

 臨死体験者へのインタビューを集めたアメリカ製のビデオを見る機会が有った。オープニングから怪しげなモノクロ映像にサスペンスフルな音楽がかぶると言うベタな怪奇番組的作りで、臨死体験に多少なりとも厳かで神秘的なイメージを抱く日本人には違和感が有りそうだ。この辺り、人は不安になると消費に走ると言う理論に基づいてCM効果を高める為だけに必要以上に刺激的な番組作りをすると言うアメリカ製らしい。(←偏見?)

 そうしてやや無理やり気味に緊迫感が盛り上がる中、荒れたモノクロ画面に最初に登場した臨死体験者が神妙な面持ちでカメラに向かって言った。

「私は歯医者で虫歯の治療中に臨死体験をしたのです。」

歯医者で臨死体験とは…予想外だ。予想外です。(←by 予想Guy)アメリカではそんな身近に死の縁が口を開けているのか…恐ろしい……ってか間抜けだ(T▽T)!!一体どんなヤブ医者があの小さなダイヤモンド・ドリルで患者を死の一歩手前まで追込んだと言うのか?歯の奥に有る秘孔でも突いてしまったと言うのか?有り得ねー。私は一気に脱力した。

 いや、アメリカの事だからもしかするととんでもない変態医師が居て患者に死の罠を仕掛けているのかも知れない。(←偏見…とあなたは言い切れるかな?(^^;))

 まぁ、もうちょっと普通に考えるなら麻酔のトラブル辺りだろうか。アメリカは何でも過剰な国だから虫歯の治療に全身麻酔をかけるのかも知れないし。(←偏見?ハイハイもう言いませんって(-.-)y-~~~スパ〜〜)

 オープニングでは各体験者の話を短く編集しているので、最初の体験者はその一言を言っただけで次の瞬間には画面はもう別の体験者に変わっていた。その後出て来る他の体験者達は「光を見た」とか「亡くなった家族に会った」とかそれらしい事を言ってるのに、よりによって最初のツカミが何故「歯医者で臨死体験」なのか?身近な所から視聴者の興味を引こうとする狙いか?身近なだけにそこで臨死体験ってのは意外を通り越して笑い話にしかならないと思うのだが…

 いや、そもそもこうやって突っ込まれる事が狙いなのかも知れない。如何に視聴者の気を引くかが第一で、その内容に対する誇りや責任感は二の次なのがアメリカのマスメディアなのだから。(←あっ、言っちまった。:-p)

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長期生存者

 病院から突然厚みの有るA4サイズの封書が送られて来た。そんな物が来たのは初めてなので、もしや前回の診察で問題が見つかったのかと少々ビビりながら開封すると、

『長期生存者の方へのQOL(生活の質)に関するアンケート』

なるアンケート用紙の束が出て来た。

「…そうか、俺は長期生存者だったんだよな…」

と、改めて自覚した瞬間、自分が今生きている事、今後も生き続ける事が決して当り前の事では無いのだと言うシビアな現実を実感すると共に、“長期生存者”と言う言葉の裏からは長期では無かった多くの生存者の方々が居たと言う意味が暗に伝わって来て神妙な気持ちになった。

 「大変な病気をして人生観が変わりましたか?」

とは良くされる質問だ。しかし私の場合正直言って殆ど変わって無いと言って良い(T▽T)。私の場合は慢性期の内に移植を受ける事が出来た為に死の縁を経験した訳では無く、自分がもうすぐ死ぬかも知れないと言う事は医師に言われて頭で理解しただけで実感を伴わなかった。考えようによってはアポロの月着陸と同じ位眉唾である(^_^;)。結果、皮肉な事にこの病気の恐ろしさを実感するのは他の患者さんが亡くなっていると言う事実を知る時のみである。

 なので聖人の有り難い御言葉を期待するかの様に質問をされると、一抹の後めたさと鬱陶しさが入交じった複雑な気持ちになる。

 そんな時に思うのが

「死にかけた経験が有る人間は命の尊さが分るのか?」

と言う疑問である。自分の死を恐れる事が命の尊さを知る事なのかと言う事である。

 イスラエルのユダヤ人は彼ら自身、或いは彼らの祖先が味わった理不尽で非道な虐殺の経験から、自分達を守る為なら他者に非道な暴力を振う事をいとわない。アメリカの白人達も同様と言われる。こうした外道な方達は命の尊さを知っていると言えるのだろうか?…って、まぁ他者からの暴力による死と病気等による死を一緒にするのは無茶だろうが、何にせよ命の尊さを知ると言うなら自分だけで無く他者を含めた全ての命を尊く思えなければならないと思う訳である。

 ならばその為には命の尊さなんて大仰な物を知る前に他者を愛し大切にする気持ちを知る事こそ大切ではないかと思うのである。自分の中に愛する人や尊敬する人がいて初めて他者を失う事の悲しさや苦しさを知る事が出来る訳で、それは自分の死の怖さを知る事より遥かに命の尊さを知る事だと思うのである。

 更に言うと死を知る事だけが命の尊さを知る事では無いだろう。子供が生まれた時、それまで存在しなかった新しい命の誕生に喜びを感じる事も命の素晴らしさや尊さを知る事に他ならないはずである。

 命の尊さが分らないとか実感出来ないと言う人に本当に欠けているのは死を身近に感じる事よりむしろ上に述べた様な事では無いだろうか。

 もしそうじゃ無いのに分らないと言う人がいたら、その人は多分死の縁を経験しても命の尊さを知る事は出来ないと思うのだがどうだろうか?

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