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北九州紀行7 『成田亨の世界』展を観る PART2

 本展の展示はウルトラシリーズのキャラクター・デザイン画が全体の2/3程を占めているが、それ以外にイラスト、映画の絵コンテやコンセプト・アート、油彩画、彫刻等の立体作品が展示されており、成田亨の多彩な活動を垣間見る事が出来る。

 ちなみに私は怪獣には興味が無かったクチなので成田亨の名を知ったのは偶然見たイラストによってである。それは『マイティ・ジャック』のメカが空や海で活躍する姿を描いたシリーズだった。昔から映画好きだった私は欧米のSF映画に関わっていたシド・ミードやクリス・フォスと言ったデザイナーやイラストレーターをきっかけに、海外のSFイラストに興味を持っていた。主にSF小説のカバー用に描かれたイラストで、同種の物は当然日本にも有ったのだが海外の物は全く異質だった。

 最大の違いは空間表現で、構図の取り方も色彩表現もとにかくダイナミックで、大袈裟では無く今にも飛び出して来そうな、或いは吸い込まれて行く様な錯覚を覚える程の迫力が有った。それらに比べると日本のイラストレーターの描く絵は如何にも平板でこじんまりと纏まっており、この感覚の違いは何だろうか?住んでる土地や家の広さの違いから来るのだろうか?等と真剣に考えた物である。

 所が成田亨のイラストには海外のイラストレーターのそれを上回るダイナミックな空間表現や洗練された色彩感覚が有った。そしてそもそも基本的な絵の技術が海外を含めた他のイラストレーターより上・・・と言うかかつて見た事が無い程に上手かった。特に感動したのが『雲』や『波』の表現だ。

 『雲』や『波』を描くのは有る意味簡単だ。適当に描いても雲や波には見える。しかし本物の雲や波を描ける画家が果たして何人居るだろうか?私達は或る時ふと見上げた空に浮かぶ雲の美しさに息を飲んで見とれる事が有るが、その美しさを本当の意味で絵画から感じた事が有るだろうか?

 成田亨は『雲』や『波』だけの絵を描いている。背景としては数多の絵に描かれている雲や波だが、私が知る限り雲や波だけで絵にしたのはターナーとクールベ位である。しかも二人の雲や波はあくまで絵全体から受ける印象をテーマにした物で、雲や波自体は抽象的で類型的に描かれているに過ぎない。

 しかし成田亨が描く雲や波は違う。塊感と曖昧さを併せ持ち、力強さと儚さを同時に感じさせる不思議な生命感を持った雲の魅力が絵の主役として圧倒的な存在感を持って迫って来る。それは決してフォト・リアリスティックに描かれた物では無い。油彩の場合タッチは荒く、部分的には緑や黄色などの有り得ない色が使われていたりする。また水彩イラストの場合、そもそも雲は描かれていない。塗り残した紙の白い地肌が雲になっているだけなのだ。にも関わらず一目見た瞬間に「あっ!これこそ俺が感動した本物の雲だ!」と感じ、それまで自分が絵画やイラストで見て来た雲はどれ程美しいと感じた物でも所詮は本質を失った単なる記号に過ぎなかった事を思い知らされるのである。波も同様である。

 ここで私は絵画とイラストを同列に並べて話をしているが、絵画とイラストの分類は明確にして曖昧だ。現代の定義から言うとイラストと言うのは「情報を伝える道具として描かれる絵」で、絵画は「画家の感動を表現する為に描かれる絵」と言う事になる。しかしイラストとして描かれた絵でも描いたイラストレーターの感動が表現されて観る人の心を打つ場合は有るし、絵画として描かれた絵でも漫然と安易に描かれて何の感動も与えない場合も有る。従って私は敢えてジャンルは問わずに作品に接しているつもりである。

 本展には成田亨のイラストとして前述の『マイティジャック』や『ウルトラ』等のテレビ番組のキャラクターを描いた物に加え、私的に描き続けていた『日本のモンスター』シリーズの一部『龍』や『天狗』が展示されている。絵画としては若い頃に映画のロケで赴いた南太平洋の海と人物を描いた連作や、晩年に制作された『絶望』をテーマにした人物画や静物画が展示されている。中でも枯れたひまわりを青空の下に描いた『ひまわり』は絶品である。並べてみると成田亨の絵画はあくまで絵画だが、イラストの方は場合によって多分に絵画の要素が入り込んでいる事が分かる。例えばマイティジャックが波間から姿を現すイラストはイラストと言いつつ60号の油彩で描かれており、絵の大半はうねる大波で占められこの波の迫力や情感は明らかに絵画だと実感出来る物が有る。

 成田亨はデザインだけでなく映画の特撮美術監督も務めており、本展にはコンセプト・アートや絵コンテが何点か展示されている。この成田亨の特撮監督としての仕事は非常に興味深い。何故なら彼が特撮監督を務めた映画は円谷作品では無く怪獣映画ですら無いのである。彼が特撮を提供したのは『新幹線大爆破』や『戦争と人間』、『この子を残して』と言った大人が観る映画だったのである。ここで求められる特撮は怪獣映画の様な『おもちゃ遊び的面白さ』では無く、『ドラマに溶け込んだリアルさ』である。『スターウォーズ』が作られる以前、特撮と言えば円谷プロの独壇場で、正確な縮尺のミニチュアを精密に作る事を自慢していた時代に、彼はミニチュアに大胆なパースペクティブを付ける、セットの一部(或いは大半)に引き伸ばした写真を使う等の当時他の人がやらなかった手法でミニチュアならではの撮影上の制約から来るチャチさを乗り越え、円谷作品より遥かにリアルな映像を作り上げていたのである。こうした手法は「映画は立体を撮影しても完成した映像は平面である」と言う考えに基付き、あくまでフィルムに映った映像がどう見えるかを考え、そこから逆算して必要なミニチュアやセットの姿を考えると言う、言わば絵の具とキャンバスの代わりにミニチュアとカメラでハイパー・リアリズム絵画を描く行為である。これは極めて画家らしい技能と感性が発揮された仕事だと思うのである。

 最後に彫刻作品であるが、本展には怪獣や宇宙人をモチーフにした小品が数点展示されているのみだが、会場で上映されているビデオで成田亨の代表作である『大江山鬼モニュメント』の制作風景が見られ、これが非常に良い。鬼と言っても角が生えている以外は人間であるから、決してキワモノでは無く純粋な男性立像である。先に成田亨は抽象彫刻で頭角を現した作家だと述べたが、彼が美大時代に師事していたのはブルデル直弟子の清水多嘉志と言う彫刻家で、彼はブルデルの工房で師範代を務めジャコメッティにも教えていたと言う人物である。つまり成田亨はブルデル直系の具象彫刻を専攻しているのである。

 ブルデルはロダンの弟子で、ロダンの自然な写実主義に対して『建築的構造』と言う概念を生み出した彫刻家である。この『建築的構造』を平易に説明するのは難しいのだが、例えば動かない彫刻で人体を表現する場合、いくら解剖学的な正確さで作っても瞬間を切り取った静止した人物しか描く事は出来ない。しかしブルデルは人間の体の動きやその時の力の働きを彫刻で表現しようとした。その為に走っている人間の像に足を何本も付けたり、足の代わりに渦巻きを付けたり・・・・・する訳は無く(^^;)、人間が動く瞬間の体の中での力の流れを人体各部の構成で見せる方法を考えたのである。足元に掛かった力が人体の何処を通って何処に抜け、何処で受け止められるかを骨や筋肉の単位まで分解して考え、表現する動きに応じて発生すべき力を流し受け止める方向に各部を配置し組み立てて行くのである。そして力が掛かる部分、力を受けて動き出そうとする部分には若干の変形が加えられる場合も有る。それによりあくまで瞬間を描きながら躍動感や力強さを表現する事に成功したのである。これは解剖学とは別の視点からの人体の再構成だと言えるが、だからと言って必ずしも解剖学的正確さを無視する事では無い。ただ特定のモデルを正確に描くことだけを考えていては見えて来ない人体の本質に迫る行為だと思う。

 ブルデルはこの手法で様々な題材を作っているが、特にブルデルならではの力強さや躍動感が生かされていると感じるのは古代神話の英雄を描いた『弓を引くヘラクレス』像で、彼の代表作となっている。現代において神話の英雄像が作られる事はまず無いと思うが、成田亨は偶然にも『鬼』と言うこの神話の英雄に通じる滅多に無い題材を得て、ブルデル直系ならではの力強さと躍動感を遺憾なく発揮した男性裸像の傑作を生み出した。これは実に幸福な出会いだったと言えよう。

 と言う訳でブログにあるまじき長さで紹介して来た本展・・・つーか成田亨で有るが、改めて総括すると、とかく『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』等のデザイナーとしてばかり語られる彼だが本来は彫刻家・画家であり、同時に映画・テレビ等の特撮美術監督・デザイナーとしても活躍し、更にテーマ・パークや博覧会等のアトラクションやディスプレイのデザイナーも勤める等、正に現代の混沌とした『美術界』の中で『芸術家』がなすべき事・出来る事を精一杯模索し開拓し続け、独自の業績を残した『現代』を代表する真の芸術家の一人であると私は理解している。

 近年アメリカ美術の影響で美術の定義はますます混沌の中に有り、成田亨もサブカルチャーがポップカルチャーに格上げ(?)される様な形で美術館の展示対象に入って来た経緯が有る。美術の分類に興味は無く、ましてや貴賎を付けるつもりなど全く無いが、美術ファンとしてはこの混沌の中で押し寄せる情報に流されると、何か大切な物を見失うのでは無いかと言う危機感を感じる。既存の、或いは新たな権威や価値観に惑わされず、もう一度自分にとって美術とは何かと考える事が必要だと思うがどうだろうか。

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コメント

長文シリーズおつかれさまでした。
成田Worksを特撮周辺の枠組みで語った文章は今までも数多く発表されていると思うが、それ以外の眼をもって記した文章は(成田亨本人の著作等を除けば)知る限りでは極めて少ないと思えるのが現状だ。その意味でも貴重な労作になったと思うよ。

投稿: itameshi | 2005.09.04 21:43

 有難う御座います。実際今回の成田亨展については残念ながら出版物でもネットでも怪獣以外にきちんと言及した文章を見る事は出来ませんでした。本展の意図はそれだけでは無いと実際の展覧会を見た人間としては強く感じましたので、今回は展覧会に関わった人達の思いを代弁すべく”告発者”として勝手に燃えてしまいました。つーても中々難しいですよね。発表早々引っ込めて加筆してます(笑)。主に彫刻にかんする記述が不十分過ぎると感じた為です。おかげでただでさえ長い文章が益々長くなりました(笑)。ちょっと整理して本サイトの方へ読みやすい形で転載しようかな等と思っちょります。

投稿: うぃんすろう | 2005.09.06 10:45

熱い!感動しました。

投稿: fuuuuuh | 2005.09.15 21:41

 有難う御座います。恐縮です!

投稿: うぃんすろう | 2005.09.18 02:01

 私も見に行きました。成田亨さんの事は私も幼い頃から知っていて、大ファンだったのですが本物の作品を生で見たのは初めてで、息を呑みました。また、氏の、真摯で直向で、ストイックな人生に感動すらおぼえました。氏の作品展が福岡で観れるなんて思いもよりませんでした。だだ、残念なのは、我々が思っているより、氏の知名度がひくいことです(そんな事ないかな?)。これをきっかけに、再評価を深く期待します。

投稿: 無頼派 | 2005.09.30 22:35

 コメント有難う御座います。実際に展覧会に行かれた方とお話出来て嬉しいです。

 成田氏の再評価はウルトラマンを観た世代の評論家や美術家によって始まっているのですが、現代美術の人達って評価の仕方が文学的と言うか、作品の意味にこだわり過ぎる感じで作家の人生とからめた歴史的社会的背景の分析ばかりに行っちゃう傾向が有るんですよね。

 現代美術の作家にはそうした分析が向いてる人が多いとは思いますが、成田氏の作品からはもっと感覚的と言うか直情的な感動をより強く感じるので、もう少し古典美術的な分析をした方が感覚的にしっくり来ると以前から思っており、今回このような文章を書いた次第です。

 実際子供から大人まで魅了するこの極めて独特で洗練された魅力の本質を評論家も我々も本当に分かっているのか疑問に感じており、これからも考えて行きたいと思っています。

投稿: うぃんすろう | 2005.10.01 14:11

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知る人ぞ知る成田亨については語らずを決め込んでいたのだが(←意味不明)、これらの労作を前にしてコメントするとなるとどうに [続きを読む]

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