紅白歌合戦を観る

 今更去年の年末の話で何だが…

 私はNHKの番組を結構見る方だが、紅白歌合戦は嫌いである。あらゆるテレビ番組の中でも最低な物の一つだと思っている。民放でも有り得ない行き過ぎた視聴率至上主義(40%近く穫ってて不満を言うのはあまりにアナクロ)剥き出しで、歌手に限らず話題性のある有名人を見境無くかき集めた挙げ句、持ち前の保守的事無かれ主義丸出しの細かい台本でがんじがらめにして彼等の持ち味を全く発揮させず、小学校の学芸会のごとき茶番を演じさせる様は見るに堪えない。

 と言う訳で、例年特定の歌手の前後しか見ないのだが、昨年は珍しくその後2時間近くも見てしまった。これは例年より面白かった…と言うより、見ていて辛くなかったからである。

 理由は司会の笑福亭鶴瓶が良かったからで、紅白の司会が自分の言葉でしゃべっているのを初めて見た。「まだ時間有りますか?」とか言いながら会話するシーンは紅白では非常に新鮮である。他の出演者が相変わらずガチガチでなかったら最後まで見たかもしれない。内容的にも例年より浮ついた感じが無く、歌をじっくり聞かせる方向に行っていたのは良かった。NHKの自己宣伝の部分は相変わらず浮いてたが…

 そんな中で小林幸子だけは相変わらず大仕掛けだったのは逆に頼もしくて良かった(笑)。今年は例年より歌と仕掛けの違和感が無いように感じられたのはこちらの慣れか?はたまたあらかじめ装置に合わせて歌を作ったか…(^_^;)。

 余談だが、何年か前の紅白で、やはり巨大な装置にくくりつけられて身動きとれない状態の小林幸子が

「♪歌は私の人生だけど、籠の鳥にはなりたくない…♪」

と歌っていたのは何だか皮肉に思えた。

 皮肉と言えばやはり何年か前の紅白でSMAPが大取りを務めた事が有ったが、紅白の大取りと言えば特に紅白常連の大御所の歌手の方々にとっては大変なステータスだそうで、それを若造に持って行かれて内心苦々しく思っていた人達も居たと思われる。

 そんなお歴々の前に出て来たSMAPが開口一番

「♪ナンバーワンにならなくても良い〜…♪」

と歌ったのだから、思わず

「ふざけんなこのガキ!!」

と怒鳴ってしまった人も居た事で有ろう。いや、私は見て無いんで知らないんですけどね…(^_^;)

 時期遅れでくだらない事を書いてしまった…

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ヤッターマン

 会社のパソコンで文書を作っていた時の事。間違えた文字を消そうと〔BS〕キーを押した所、突然パソコンの電源が落ちた!警告も出ない強制終了である。もちろん書きかけの文書は消滅である。何が起こったのか分からず呆然とキーボードを見詰めると、〔BS〕キーの斜め隣のキーに〔POWER〕と書かれているのに気付いた!

「なんじゃこりゃぁ!!」

思わず叫んでしまった。キーボードに電源スイッチが付いてる物は良く有るが、隙間無く並んだ普通のキーの一つが電源キーなどと言うのは初めてである。ちなみに〔POWER〕キーに隣り合って〔PrtSc〕キーもある。よく今まで無事で来れたものである・・・

「どうかしたんですか?」

私の叫びを聞き付けた同僚が近寄って来た。私が震える手でキーボードを指差すと、彼も驚いて目を剥いた。

「げっ!こんなキー有りですか?危ないだけじゃないすか。」

「これじゃ操縦桿の隣に剥き出しの自爆スイッチが付いてるどっかのアニメのメカと一緒だよ。」

「おっ、ヤッターマンですね。確かにそうだ、はっはっは。」

「だろ?はっはっは・・・って笑い事じゃねぇ!!(T_T)」


 ・・・なんて話をしていたらテレビで新しくヤッターマンが始まると言うので見てみた。感想は・・・あぁ、やっぱ微妙に変えて来るんだ・・・しかしこのオープニングの取って付けたようなポップ感は・・・ってか山本正之が歌ってないじゃん!そりゃ無いよな(T_T)・・・・・・しかもやっぱりと言うべきかエンディングは3悪人の歌じゃなくてタイアップ曲だし・・・・・・何か内容以前の部分で随分がっかりしてるな俺・・・・・

 内容については、この手の物は最低5回位やらないと面白くならないんで今は何も言いません。スタッフの皆さん頑張ってください。これが当たらないと控えてる実写映画も盛り上がらないしね。

 ・・・なんつって、続けて見るか分からんけどな(^ ^;)。

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フェルメールを観る

 国立新美術館で開催されている『フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展』を観に行った。『フェルメールと~』ではなく、『フェルメール「牛乳を注ぐ女」と~』と言うタイトルが遠回しに断っている通り、フェルメールの作品は『牛乳を注ぐ女』一点だけである。

 あれだけフェルメールの名前一本で宣伝しておいて1点だけと言うのはあこぎとも思えるが、フェルメールの絵は世界で三十数点しか確認されておらず、所有する美術館は何処も門外不出に近い扱いをしているお宝である。この作品も「過去数百年で国外に貸し出された事は5回だけ」だそうで、事情を知る人にとってはあのはしゃぎ方もむべなるかなではある。

 とは言えそうでない人が観に行ったらやっぱりあこぎだと思いそうである。何故なら、正直この「牛乳を注ぐ女」と他の展示作品との落差が大き過ぎるからである。

 本展はそもそも17世紀から19世紀に掛けてのオランダ風俗画を紹介する物で、フェルメールの絵は17世紀の風俗画に入る。この風俗画とは、絵画が王侯貴族の物だった時代にその主題が歴史や神話にほぼ限定されていたのに対し、庶民の文化水準が上がって来た時代にそのアンチテーゼとして庶民の生活を題材に描かれた物である。主題が変わっても基本的なスタイルは変わらず、庶民の暮らしの一場面をドラマチックに、往々にして寓話的意味を込めて描かれている。

 しかし神話であれ庶民の暮らしであれ、絵画でドラマを描こうとするとその絵はイラストになってしまう。絵がドラマを説明する道具になってしまい、登場人物や背景は記号化する。描かれる対象と深く向き合う事で生まれる衝動的な感動はなおざりにされるのである。無論イラストだからそうした感動が無いと決まった訳では無いが、それが無くても成立してしまうのである。本展に出品されている作品の多くも、当時の文化や風俗を知る資料としては面白くても、絵としての魅力は余り感じられない物が多い。

 勿論写真や映像が出来る前の絵画はそう言う役割を担っていた物なので、それを批判する気はない。ただ時代を超えて現代に鑑賞されるべき価値を持つかは疑問と感じるのである。

 その点『牛乳を注ぐ女』は違っていた。我々が日常の中で一瞬発見するも、直ぐに無意識の中に埋没してしまう儚い美を、鋭く捉えて画面に定着している。これは現代人の琴線にも充分触れる物である。

 まぁ、先程の話から言うとフェルメールの絵も充分にイラスト的である。しかし他の画家と根本的に違うのは対象と向き合う姿勢である。語りたいドラマとは別に、描く対象その物に美を見い出して、その本質を絵画的美に昇華しているのである。対して他の画家達が美を見出しているのは描く対象ではなく先人の作品だと思える。そのディテールや色彩は描かれる対象自体から見出された物と言うよりは、過去の作品から寄せ集めて再構成した物である。見た目が美しい絵を描くにはその方が手っ取り早いし、語りたいのがドラマならそれで充分なのは言うまでもない。それがイラストである。

 ちなみに本展に出展されている作品でも、19世紀以降の作品は当然ながら近代的な価値観で描かれており、現代的な美を持った作品が多い。

 とは言えやはり作品としての力は「牛乳を注ぐ女」が圧倒的である。正直言ってこれ一点だけの為に入場料を払う展覧会だと言っても過言では無いが、「牛乳を注ぐ女」にはそれだけの価値が有ると個人的には思う。

 ・・・って、招待券で観に行ってて言えた筋合いでもないがな(笑)・・・・・

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怪獣と美術展に行く

 足利市美術館で開催されている『怪獣と美術』展を観に行く。足利は遠いが、神奈川県立近代美術館・葉山よりはましである。

 この展覧会は

「怪獣を創っていたのはファインアートの世界で活躍していた芸術家達だった」

と、言う事実を再検証し、外国で評価が上がりつつある日本のサブカルチャーを国内のアートシーンでも取り上げる事で、経営に苦しむ美術館に客を呼び込もうと言う打算的な試みである・・・ってのは多分に事実だが(T_T)、ファイン・アートとかサブカルチャーとかのカテゴリーに囚われずに作品と向き合い評価するのは今後必要な事であり良い事である。

 で、この展覧会のメインは度々取り上げている成田亨である。本展は東京でもやってたのだが、今回わざわざ足利まで来たと言うのは、先日観て来た『大江山の鬼モニュメント』の原型が展示されると聞いたからである。

 要は大江山のモニュメントの台座が高過ぎて彫刻が良く見えないから見に来た訳である。

 この原型はブロンズ像用の型を取るのに使われた物で、大きさも形も大江山の像と同じである。細かい事言うと、型取りの際に一度バラバラにされた物を繋ぎ合わせたので、細かいディテールは変わってるらしいのだが、全体に大きく影響はしないだろう。

 実際に間近で見るとこれ程印象が違うかと驚いた。大江山で見るより遥かに迫力が有る。大地を踏ん張る力強さや体の動きの流れの美しさ、ダイナミックさ等、本来この像が持つ魅力がより良く分かる。ここまで来た甲斐があった。

 鬼が強烈なのでその他の展示の印象が薄くなってしまったが、怪獣も怪獣以外の作品も結構幅広く展示されていて良かったと思う(←適当(^ ^;))。

 ちなみに本展は12月2日のNHK教育テレビ『新日曜美術館』の後半で少し紹介されるらしい。鬼の原型は図録にも載ってないし、紹介されるのを期待して録画する事にしよう。

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リアルとリアリティ

 月探査機かぐやが世界で初めてハイビジョン撮影した月面での地球の出の映像をテレビでやっていた…って思ったら、どうやらシミュレーション映像の様である。それにしても随分ちゃちなCGだ。まるで20年前のレベルである。

 …なんて思ってたら実写だった!全然リアルじゃねー(ToT)!!

 空気が無いってのは理屈では分かっているのだが、感覚的な違和感は予想以上である。従来は不鮮明な映像が空気遠近感の様な錯覚を生み出していたのだと改めて実感。

 もし今宇宙ロケで映画撮ったとしても、すげー予算掛けたのにその映像は使えず、特撮で取り直すなんて事にマジでなりそうな気がしたのだった・・・(^ ^;)

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北近畿・山陰の旅13 大江山鬼モニュメントを観る

 帰り道、天橋立の近くに有る大江山へ寄って行く事にする。

 ここには一昨年、当ブログでも紹介した成田亨作の鬼モニュメントが有る。

 成田亨についてはその時に詳しく解説したので省略するが、このモニュメントは彼の晩年の大作で、ブルデル直系の血筋を感じさせる躍動感と重量感が見事な作品である。また、三体の鬼の動きと台座のフォルムが全て呼応し合って生み出される美しさは、抽象彫刻で頭角を現した成田の形に対する感性の鋭さを感じさせる物だ・・・が、幾らなんでも台座が高過ぎでしょ(T_T)!?

 聞いた所によると、この手のモニュメントを作る場合、決められた高さが無いと国からの補助金が貰えない為、当初の計画より台座を高くしたんだとか。ダムや道路と同じいい加減な仕組みが芸術までも歪めているとは情けない。

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 大江山からの帰り道、林の中に・・・鬼が!!(トトロじゃねーってば(怒)!!)

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 こう見えるのはこの位置からだけで、近付くとバラバラになってしまう。誰かが狙って作った物では無さそうだ。

 もしかしたら大江山の鬼の怨念の表れなのかも知れない・・・・・(見た目可愛い過ぎだけどな(T▽T;))


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北近畿・山陰の旅11 モディリアーニと妻ジャンヌの物語展を観る

 島根県立美術館の前を通ったら『モディリアーニと妻ジャンヌの物語展』の看板が。これは暫く前まで東京でやっていた展覧会である。その時はもの凄く混んでいると聞いて行くのを躊躇している内に終わってしまったと言うモディリアーニ・ファンにはあるまじき失態を犯してしまったのだが、それが今この島根に巡回して来ているのである。これは神の仕組んだ運命としか思えない。観るしかあるまい。

 島根と言えば鳥取の次位に人口が少ない県である。しかも今日は平日。混むはずが無い…と、思いながら行ってみると・・・ガラガラだった(T▽T)!!東京でモディリアーニ展をやったら絶対に有り得ない状況である。

 ジャンヌの絵を見るのは今回が初めてだったのだが、モディリアーニの影響を強く受けながらも自分のフォルムを探求している真摯な姿勢が感じられ好感を持った。ちなみに二人の絵を見比べると、ジャンヌは基本から画家なのに対して、モディリアーニは基本が彫刻家なのだと言う事を改めて感じた。主題以外の背景まで含めた『画面構成』を行っているジャンヌに対して、モディリアーニは主題以外の物を描かない。主題の構造がそのまま画面構成を決定しているのである。これは彫刻的なセンスとしか言いようが無い。

 こんなにじっくりとモディリアーニの作品と向き合ったのは初めてである。旅に出て良かった(T▽T)。

 ちなみにこの美術館の所蔵作品には小泉八雲の息子の絵が有った。さすが島根県立である。

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北近畿・山陰の旅10 石見銀山へ行く

 暫く前に世界遺産に指定された石見銀山へ行く。

 それまで毒薬の名前としか思われていなかった石見銀山だが(←?)、世界遺産になって以来、突然の観光ラッシュに沸いているとか。この事はとりもなおさず石見銀山が本来特に面白くも風光明媚でも無かった事を表している(←断言!(^_^;))。

 実際行ってみると、広大な山の中に廃坑や廃工場と言った史跡がポツリポツリと点在していて、周るのに時間が掛かる上にそらぞれの史跡が極めて地味と言う、まぁ世界遺産で無きゃ観光客なんて来ないわなぁ…と思える所だった。

 ただ私は歩くのは好きなので、綺麗な山の景色と澄んだ空気の中を歩いてるだけで結構楽しく、廃墟を見るのも嫌いじゃ無いので、定番の廃坑や廃工場以外にも廃寺(かどうか分からんがそうとしか見えない(^^;))を幾つも巡ったりして、結局まる一日楽しんでしまった。そう言う趣味の人にはお勧め出来るかも知れない(笑)。

 ちなみにそれでも全部の史跡の半分位しか回れていない。全部を周ろうと思ったら二日必要である。これは言うまでも無く史跡が多いのでは無く点在する範囲が広いのである。人が少ない時なら車で回る事も出来る様だが、正直言ってこの山の自然や集落、廃寺を含めた全体で石見銀山だと思うので、史跡だけを飛び飛びで見ても印象には残らないと思う。

 では、幾つかの史跡を写真で紹介してみよう。

 まずは唯一一般公開されている龍源寺間歩(まぶ)。間歩とは坑道の事である。通路部分はそこそこの広さが有るが、実際に採掘を行っていた側洞は人が立っては入れない狭さだ。作業の過酷さが偲ばれる。

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 ちなみに公開されてない坑道ってどんなんかなーと思ってたら、山の斜面のあちこちに小さな坑道跡が。龍源寺間歩での側洞が直接山の斜面に掘られてる様な物で、狭くて高さが無い。公開されても入れないっす(^_^;)。

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 かつての精錬所。出来れば中も見たい。

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 寂れた古刹の石段。景色が心地良い。

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 傾いちゃってる多分廃寺。壊れた石灯籠も悲しい。

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 古い町並みも保存されている。ただし住人は離れてしまった所が多いとか(T_T)。

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 立派なお屋敷も有る。

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 みんな傾いてるけど何が有ったのか・・・

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 やっぱ世界遺産カレンダーに載るのは難しそうだな(^_^;)。


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北近畿・山陰の旅9 足立美術館へ行く

 中海から少々山間に入った所に有る足立美術館へ行く。

 ここは地元の実業家の足立全康と言う人が建てた私設美術館で、横山大観を中心とする日本画のコレクションで知られるが、それ以上にここを有名にしているのはアメリカの日本庭園専門誌で5年連続日本一に選ばれたと言う日本庭園である。

 アメリカの日本庭園専門誌にどれ程の権威が有るのか・・・ってか、そもそもそんな物が有って、あまつさえ日本国内の庭園をランク付けしている事に驚くが、考えて見ればアメリカは言わずと知れた変態の国。本来日本以上にオタク性の高い国民性を持っている。何が有っても驚くには値しないだろう。まぁ、お手並み拝見と行こうか(←?)。

 回りに殆ど何も無い山間に足立美術館は有る。もの凄く広い駐車場に平日だと言うのに結構な数の車が泊まっている。観光バスも多い。僻地(←失礼)に有る私設美術館としては随分な人気だ。

 評判の枯山水庭園を観る。うーむ…広い。どこからが借景の山なのか分からなくなりそうである。そして派手だ。なるほどアメリカ人に好まれる訳である・・・なんて言うと偏見だが、いわゆる侘び寂び感は余り無く、豪華で若干大味な印象だ。作りや手入れが大雑把な訳でも無いのに大味に感じるのはやはりその広さ故か。ヨーロッパの庭園の様に人工的・幾何学的に構成された庭は、自然に対抗して存在感を示す物なので大きい事は魅力なのだが、自然を象徴的に模す枯山水庭園は、広大な自然を抽象化して狭い空間に凝縮した宇宙観みたいな物が魅力なので、ここの様に実際の自然を思わせるスケールで作ってしまうと、象徴性や凝縮感が失われて散漫な印象を与えるのではないかと感じる。ちなみに背景の崖に滝が落ちていて、何か不自然だなと思ったらやはり人工の滝だった。ここの枯山水の中心には滝を模した縦長の大岩が据えられており、全体で山河を表現しているのだが、その背後に本物の滝を作るって発想はどうなんだろうか?

 単に景色としては美しいかどうかは別にして、色々な意味で違和感が拭えないのだった。

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 入り口近くに有る苔庭。落ち着いた色合いと造形で、これは結構好きだ。

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室内を通して庭を見せる『生の額絵』と称する仕掛け。「庭も一幅の絵画」と言う設立者の思いの表現だ。

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 館内に入って展示を観る。評判通り横山大観のコレクションが充実しているが…個人的には余り好みじゃなかったりする(T_T)。

 風景画の美とは対象となる風景自体が持つフォルムの美と、作者の内面から生み出されるフォルムの美を融合させつつ再構成した物だと思うが、横山画伯の描くフォルムは余りにも漫然と記号化された感じで、元の風景が持って居たで有ろう情感は全く感じられないし、自身の内面のフォルムを突き詰めた深みも感じられない。むしろ安易な思い付きで描かれた企画物の様に見える絵が多かった。

 とは言え世間的に評価が高い作品「雨霽る(あめはる)」とか「紅葉(こうよう)」とかはそれなりに味が有って良いとは思う。まぁ、良い作品も悪い作品も有るのが作家だが、単純に良し悪しと言う以前に絵に対する姿勢みたいな物に疑問を感じる作品が有る事が好きになれないのであった。

 次に企画展『競演-文展の画家たち-』を観る。

 文展とは後に帝展となり現在は日展となっている、日本のアカデミックな公募展の頂点である。ここのコレクションは日本画のみの様で、川合玉堂や伊藤深水、鏑木清方等が並ぶ。

 ここで印象に残ったのが西村五雲の「凍夜(とうや)」と言う作品である。雪原で月に向かって立つ一匹の犬を描いた淡彩の水墨画(だったと思う)だが、明治35年制作にしては極めて近代的で洗練された力強いデッサンで、背後から見た犬の睾丸や肛門まで写実的に描写する躊躇無いリアリズムと、その一方で陰影に沈む顔のディテール等は大胆に省略し、全体としてフォトリアリスティックな中に象徴的な情感を生み出す画風はアメリカの巨匠アンドリュー・ワイエスを思わせる物だ。しかしこの絵が描かれたのはワイエスが生まれる15年も前である。これは凄いと思う。だから足立美術館さん、この絵を図録に載せるか絵葉書を作るかして下さい。よろしくお願いしますm(_ _)m。

 その他は橋本関雪の「夏夕」とか山本春挙の「瑞祥」なんかが個人的には良かった。

 それにしても入館料2,200円は高過ぎである。メセナじゃ無いのかよ・・・(vv;)

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北近畿・山陰の旅8. 大山~皆生温泉へ行く

 三佛寺を出て西へ走り続けると、大山のドライブコースに入る。鮮やかな緑の林間コースは平日と言う事も有ってか車も少なく気持ち良く走れる。出来れば紅葉の季節に来たいが、その頃は混むんだろうなーやっぱり…(vv;)。

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 ただ天気は悪く時折小雨もぱらつく有様で、大山自体は雲間から僅かに輪郭をを望める程度だった。小泉八雲も心酔していたと言う大山を楽しみにしていたのに残念だ、三佛寺に居た頃は快晴だったのに、やはり山の天気は分からない物である。

 夜に再び海岸沿いへ出る。米子と境港の間にある皆生(かいけ)温泉で一泊する。

 山陰の海岸線を走っていると、とにかく海水浴場が多いのに驚かされる。地形的に砂浜が多い様で、その象徴が鳥取砂丘と言う印象だ。

 皆生温泉も温泉街の裏手は砂浜になっており、米子や松江に近い事も有るのか、巨大旅館が林立するリゾート温泉地の様相を呈している。昨晩の三朝温泉とは完全に対照的である。

 絶壁の様にそびえる近代的高層旅館群の間を縫って予約した旅館に着く。和風の名前から期待していたのとは裏腹にここも巨大なコンクリートの箱で、少々失望する。

 とりあえず駐車場に車を停めてフロントへ行こうとすると…入口が分からん(-o-;)。ざっと見回しても壁ばかりでガラス面が無いのである。

 建物の側面に回り込むと、壁面の一角が木の壁になっている所を見付けた。近付くとどうやら自動ドアの様だ。「様だ」と言うのはそれが平坦で何の装飾も無い単なる木の壁で、それ自体にも周囲にも窓や看板に類する物が見当たらないからである。こんな分かり難い入口の旅館が有るだろうか?

 半信半疑のままその木の壁の前に立つと、案の定壁がスライドして開いた。巨大な木の壁が突如動き出す様は、何だかファンタジー映画で秘密の扉が開く瞬間みたいで、ちょっとわくわくする(笑)。窓が無い為、開くドアの隙間から漏れ出る光条の眩しさは正に闇を射るがごとくで、これがまたファンタジックである(笑×2)。

 一瞬目を眩ます光の中からきらびやかなロビーの光景が忽然と浮かび上がった。入り口の地味さとは裏腹にロビーは豪華で広い。畳百畳近くは有るだろうか?正確には分からんがとにかく広い。…否、「分からん」と言うのは正しくない。正しくは「数えなければ分からん」である。そう、ここのロビーは何と全面畳敷きだったのである。外観とは裏腹にムチャクチャ和風狙ってるじゃん!!

 …ってか和風でもロビーは畳敷かないよな普通…

 チェックインを済ませて仲居さんの案内で部屋へ行く。驚いた事にロビーだけでは無く廊下やエレベーターの中まで畳敷きである。その代わり館内にはスリッパが無く素足で歩く様になっている。考えてみれば特に湯上がりなんかにスリッパを履くのは余り気持ちの良い物では無い。温泉旅館らしい粋な造りと言えよう。そう考えると入り口の扉も敢えてギリギリまで中を見せずに客を驚かせようと言う遊び心の様に思えて来る。気取った豪華さとはちょっと違う洒落た贅沢を感じさせる面白い宿だ。

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 とか感心している内に部屋へ着いた。中へ入ると・・・洋室だった(-o-;)!!

「ここまで畳敷きで来といて何故!?」

と、仲居さんに問うと、澄ました顔で

「これがビジネスのお客さんなんかには結構好評なんですよ。」

と、言われた。なる程。米子なんかに近いと言う事はビジネス客を当て込んだシングルルームが有ってもおかしく無い訳だ。このシングルの広さは水回りを除けば四畳半程度である。これで和室じゃ侘びしい安アパートみたいになってしまう。洋室にするしか無いか…(-_-;)。

 でもこれはこれで、風呂帰りに畳敷きの廊下を歩いて来て部屋に入ると、別な意味で侘びしく感じるのだった(T_T)。ユニットバス要らないからせめて団地サイズ八畳位の和室に出来ない物だろうか…

 一人だと案外洋室の方が過ごし易い面も有るのだが・・・でも粋じゃ無いでしょそれじゃ?(→旅館の人)

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